この墓は、高さ約1m、長さ約10mの須弥壇状の石垣の上に宝篋印塔1基と五輪塔6基からなる。いずれも、備中一円によく見受けられる粒状石灰岩で造られていて、宝篋印塔は、高さ1.1m、天文15年(1546)11月6日の銘がある。那須氏は、鎌倉時代に那須与一の屋島の合戦の功績により、源頼朝より荏原庄ほか5ヶ所の領地を拝領しており、戦国時代のころまでこの地方の地頭として荏原庄を治めていた。これ以外にも、野上町余次の那須与一公墳をはじめ西江原町賀山、青野町石堂山などに那須氏ゆかりの墓がある。
●場所 | |
岡山県井原市青野町 |